「4,250g」 出生時の体重です。
地元引佐で生まれ育ち、幼少期の思い出は「小児ぜんそく」。3才のころ発症し、とても大変な日々を過ごしました。
「ゼーゼー」「ゴホゴホ」
運動した時、夜寝ている時、突然発作が始まるのです。
普段の生活にも大きな影響がありました。
発作が起きると、母が私を抱っこして、父が弟をおんぶして病院へ向かい、
治療をしてもらうと、発作も落ち着き、さっきまでの大変なことが嘘のようにぐっすり眠っていたそうです。
さらには、花粉症、アトピー、アレルギーなども発症し、本当に辛い毎日を過ごしていた記憶は今でも忘れません。
これらのことが原因か分かりませんが、母の後ろに常に隠れて、とても消極的な性格でした。
小学生になっても、ぜんそくの発作はなかなか良くならず、友達と一緒に走り回って遊ぶことなども出来ませんでした。
友達と同じ生活ができない悔しさから、子供心に「なんで、僕だけ・・・」と、思っていました。
正直、親を怨んだことさえあります。
幼少期は、「ぜんそく」や「アトピー」の辛い思い出ばかりが残っています。
ぜんそくを克服するために、少年野球に入ったり、スイミングスクールに通ったりもしました。
その効果があったのか、中学生の頃には、ぜんそく症状も良くなり、みんなと同じ「普通」の生活が送れるようになりました。
「長男だから会社を継いだ」と言う父ですが、そうは見えませんでした。
お世話になっているお客様や、協力いただいている職人さんの会話の中心には、常に父がいました。
引っ込み思案だった私にとっては、父は憧れの存在でした。
実家の横が会社、工場で、常に職人さんが働いてくれていました。
職人さんはいつも一生懸命に働いていて、関わる全ての方がお客様のために本気で家づくりをしている。
お客様もその思いを感じてくれていて、幸せそうな笑顔や感謝の言葉で溢れている。
幸せってこういうものだなぁと感じ、同時に素敵な仕事だなぁとも感じた思いは今でも忘れません。
実家の横がすぐ事務所となっているので、お客様と会う機会が良くありました。
会うたびに色々と声をかけてくれました。
「お父さん、いつも一生懸命で嬉しいよ」
「こんないい家が出来たのは、お父さんのおかげだよ」
「お父さんは、すごい人だよ」
普段の父の姿とまた違う一面を感じることができ、正直よく分かりませんでしたが、
なにか嬉しかった記憶は今でもあります。幸せな気持ちとなったことも覚えています。
『お客様の毎日も最高の幸せとする』
これらのことが、私の家づくりの原点や父の後を継ぐと決めたことになった気がします。
家づくりを通じ、お客様はもちろん、スタッフ、関係者、全ての関わる方を幸せにできる仕事だと感じています。
父の現場には、お客さんの笑顔があふれていたこと。
家づくりを通じて、幸せを創ることができる仕事なんだと感じたこと。
私は自然と高校、大学とも、建築を学びました。
代々長男が会社を継いできたので、次も兄だろう…という思いはありましたが、
それでも、自分は「家づくり」の仕事をしたいと思い、建築の道へ進みました。
高校、大学と卒業し、迷いなく、お客様と身近に接することが出来る「家づくり」の世界を選びました。
社会人デビューした会社は、通っていた大学近くの地域密着の工務店でした。
当時の私は、やる気はあったものの、まだまだ経験が浅く、お客様には不安や不信感を与え、先輩には迷惑ばかりかけていました。
「こんな若い人に任せて本当に大丈夫?」
その時のお客様の不安な表情は今でも忘れません。
職人さんからも、「どうせ若いヤツには、分からんだろう」と、完全になめられていました。
本来現場の担当である私に聞いてくるべき内容も、先輩に電話が入りました。
私の成長のためにと、先輩は電話を替わってくれましたが、やはり分からない自分自身のもどかしさと、お客様への申し訳なさで、
新築現場のクローゼットの中で泣いたこともあります。
だから、必死に頑張って勉強しました。
分からないことは当然として、分かったつもりになっていたことも徹底して調べたり、聞いたりしました。
職人さんとも積極的にコミュニケーションをとり、関係性を大切にしました。
お客様の立場となり、常に報告し、全てにおいて即対応することを心がけました。
今思い出しても経験の浅さから多くの失敗をし、多くのご迷惑をおかけしてしまったと思います。
お客様にも指摘いただき「やっぱり新人だね」と言われ、相当ショックなこともありました。
しかし、これが自分の選んだ道です。後戻りはできません。
そして、「お客様の立場となり、自分には何が出来るか」と常に考え仕事をしていました。
当時のお客様より、
「途中はいろいろあったけど、自分の理想以上のお家が出来たよ。ありがとう!」
「野沢さんが担当で良かった、これからもずっとよろしく!」
と、嬉しい言葉をたくさんいただくことができました。
本当に嬉しくて涙が出できました。
住宅の引渡しを終えた帰りの車の中で、「幼少期に感じていた父の姿」そして、「この仕事をしたいと思った原点」を思い出し、
「これが自分の求めていたもの」だと実感しました。
その後も様々な現場を経験させていただき、お客様とともに創る家づくりの素晴らしさを、日々実感していました。
順調だと思っていたその時、事件が起きました。
担当していた住宅の「完成検査」をしている時、ゾクゾクっと悪寒がして、なぜか頭がボーっとしてきたのです。
ムズムズと嫌な感じがして、それ以上その家にいることができませんでした。
それがキッカケで、中学以来治まっていたアトピーとぜんそくが再発しました。
「お客様を幸せにしたい」と思い、やってきた家づくりで、人を病気にして良い訳がありません。
当時の私は無知でした。
私が作っていた家は、シックハウス症候群対策はもちろん、空気、換気、温熱、触れるもの等に配慮がされておらず、
それが身体に悪いという認識さえ持っていませんでした。
私が作った家が原因で、私が少年時代に経験した、あの辛さ、苦しさを味わう人を、自分が作ってはいけない。
そんな気持ちで、焦りを覚えました。
「幸せづくり」と思っていた私の家づくりは、もしかしたら「不幸な家づくり」ではないのか?自問自答の日々でした。
そこで、会社に掛け合って、合板フローリングやビニールクロスといった新建材は止めて、無垢フローリングや塗り壁といった自然素材を中心に、空気にもこだわり、当たり前に快適な家づくりに変更してほしいと頼みました。
しかし、会社の方針は変えてもらう事はできませんでした。
人数が70名を超えていた会社のため、すぐに会社の方針が変更できないことは、理解していました。
ただ、私の求めている家づくりではないため、転職を決意しました。実は子供もまだ3ヶ月でした。
新しい職場は、10名程度ともっと小さな地域密着の会社でした。
お客様との距離感は近く、お客様のためにと常に考え、私の提案する家づくりを取り入れてくれて、
本当にお客様を幸せにする家づくりを、実現できると感じました。
家族みんなが当たり前に健康であること。
『毎日が最高の幸せであること』
『お客様の毎日も最高の幸せとする』という理念の原点です。
ぜんそくやアトピー、アレルギーで苦しかった、辛かった幼少期の想い出は、今では「感謝の想い出」として感じています。
父や母は、毎日毎晩、夜中に私のぜんそく発作が起きると、そのたびに起きて、背中をさすってくれたり、薬を飲ませてくれたり、
それでも治まらないときは、病院の救急に連れて行ってくれました。
翌日に仕事があるにも係らず、ほぼ毎日日課のようでした。
両親は、親として当然のことをしただけだと言ってくれますが、それが毎日だと本当に大変だったと思います。
今では感謝の気持ちで一杯です。
父が継いだ、野沢建築に戻り、現在は代表を努めています。
家づくりの原点は代々変わりません。
『家族みんなが健康で健やかに暮らすことができること』
『毎日を最高の幸せとして暮らすことができること』
自らのアレルギー体験をもとに、同じ思いを絶対にさせたくない!
アレルギーが発症したり、悪化したりするような家は絶対に作りたくない。
私はそう決意しています。
カッコいい家、もちろん好きですし、大切にしています。性能が良い家、素晴らしいと思いますし、とても重要です。
ただ、当たり前に健康であることを一番大切にしていただきたいのです。
『毎日を最高の幸せ』としていただくために。代表取締役社長 野沢 理
会社名 | 株式会社 野沢建築 |
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設立 | 1926年 |
代表者 | 代表取締役 野沢 理 |
資本金 | 1,000万円 |
営業時間 | 8:30~19:00 |
TEL | 0120-920-014 |
info@nozawa-inasa.jp | |
所在地 | 〒431-2214 静岡県浜松市浜名区引佐町横尾876-1 |
事業内容 | ■新築 ■リノベーション・リフォーム ■不動産 |
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主な資格保持 | ■一級建築士 ■二級建築士 ■一級施工管理技士 ■宅地建物取引士 |
導入制度 | ■第三者監査 株式会社NEXT STAGE ■瑕疵担保保険株式会社ハウスジーメン ■地盤30年保証 住宅不動産資産価値保全保証協会 ■建物20年保証 日本リビング保証株式会社 ※最長60年保証 ■設備10年保証 日本リビング保証株式会社 |
登録・許可 | ■建築業許可 静岡県知事許可(般・2)第3776号 ■宅地建物取引業 静岡県知事(1)第14435号 ■株式会社野沢建築一級建築士事務所 静岡県知事登録(1)第8043号 |
主な取引銀行 | ■遠州信用金庫 引佐支店 ■静岡銀行 引佐支店 ■とぴあ浜松 引佐支店 |
所在地 | 〒431-2214 静岡県浜松市浜名区引佐町横尾876-1 |
業務未経験でも、何事にも素直に、謙虚さを持って対応できればチャレンジ大歓迎です。
家づくりを通して、引佐の街に貢献できることに喜びを感じる方、待ってます。
浜松市引佐という小さなエリアで、一緒に家をつくり、そして家守りをしていきませんか?
4代続く野沢建築ですが、本物の家をわかりやすく若い世代に伝えていきたいと思います。
孫の世代にも自慢できるような家づくりご一緒出来る方、ご連絡ください。