ご挨拶GREETING
代表取締役野沢 理
幼少期苦しんだアレルギー経験。
同じ苦しみをあじあわせたくない。
家族の笑顔に囲まれていたい。
そんな私から提案できる「本物の健康住宅」。
お客様に最高の感動を。
建てるまでも、建った後も
ワクワクが続く家づくりを。
野沢建築4代目、野沢理(おさむ)です
私は、4250gのBig babyとして生まれました。
今でも大きいと言われますが、出産前の母のおなかは、はち切れそうで絶対忘れないと聞いています。
大きく元気に生まれた私ではありましたが、3才のころ、小児ぜんそくを発症し、親子共々、とても大変な時期を過ごしました。
夜になると、「ゼーゼー、ゴホゴホ」少しの運動でも、「ゼーゼー、ゴホゴホ」
季節の変わり目ばかりではなく、なにもない時でも突然に発作がおきました。
特に夜中の2時頃になると、鼻がヒクヒクして、ゴホゴホが始まったそうです。そして「お母さん、苦しいよぉ~」と母に訴えていたそうです。
母が、私を抱きかかえ、父が、弟をおんぶして病院まで車を運転し、病院について、吸入治療をしてもらうと、
家に着くころには、スヤスヤと眠っていたそうです。
さらには、花粉症、アトピーなども発症し「アレルギー体質のお手本」のようでした
とても辛かったので、今でも鮮明に覚えています。
ぜんそくのせいなのか、アトピーのせいなのか、幼い頃の私は、とても消極的で、
いつも母の後ろに隠れるようにしていました。
小学生になっても、ぜんそくの発作は、なかなか良くならず、友達と一緒に遊ぶことも出来ませんでした。
子供心に「なんで、僕だけ・・・」と、いつも思っていました。親を怨んだことさえあります。
いつも、どこかがかゆくて、無意識に掻いていたり、掻いたところが、またかゆくなって、
さらに、ぜんそくが追い打ちをかけるような壮絶な日々でした。
だから、幼少期は、「ぜんそく」や「アトピー」の辛い思い出ばかりが残っています。
ぜんそくを克服するために、少年野球に入ったり、水泳教室に通ったりもしました。
その効果があったのかどうか定かではありませんが、
中学に入るころには、ぜんそく症状も出なくなり、「普通」の生活が送れるようになりました。
母の後ろに隠れる少年でした
遊び場は、工場でした
父は、私にとってのヒーローでした
「義務感で3代目を継いだ」と言う父ですが、私の眼には、そう見えませんでした。
笑顔いっぱいのお客様や、職人さんの会話の中心には、常に父がいました。引っ込み思案だった私にとっては、父は憧れの存在でした。
たまに、父に連れられて、職人さんが働く現場を見に行くことがありました。
夏の暑い日も、冬の寒い日も、職人さんは、本当に一生懸命に働いていて、携わる全ての人が、お客様のために、全力で家づくりをしている。それを見ているお客様も、「本当にうれしそう」で、「家づくりは、幸せづくり」だなぁ~と、感じていました。
建前の「餅投げ」にも、必ず参加しました。
お目当ては、餅や、お菓子や、お金だったのですが、父に紹介されて、お客さんに挨拶に行くと、
「お父さん、本当に頑張ってくれたよ」
「お父さんのお蔭で、こんないい家が出来たよ」
「お父さんは、すごいんだよ」
と、いつも、声を掛けられました。
父は大工さんでもない、職人さんでもない、正直、父の仕事がいまいち何か分からない私でしたが、嬉しかったし、照れ臭かったし、幸せな気持ちでした。
それが、私の家づくりの原点になったような気がします
父が工務店をやっていて、父の現場には、お客さんの笑顔があふれていたこと、家づくりは、幸せを作れる仕事なんだと感じたこと。私は、それらを感じながら、高校、大学とも、建築を専攻しました。
父を継ぐのは、兄だろうという思いはありましたが、それでも、自分のやりたいことは「家づくり」だったので、建築の勉強に精を出しました。
大学を卒業する際、色々な選択肢があり、一瞬迷いましたが、「昔の父の姿」を思い出し、やはり、お客様と身近に接することが出来る「家づくり」の世界を選びました。
社会人1年生として入社した会社は、通っていた大学のあった地区の地域密着の工務店でした。当時の私は、やる気はあったものの、右も左も分からず、お客様には不安や不信感を与え、先輩には迷惑ばかりかけていました。
「こんな若い人で大丈夫?」
お客様の顔色に、不安が浮かぶのが手に取るように分かりました。そのお客様の顔は、今でも忘れられません。
職人さんからも、「どうせ若造には、分からんだろう」と、完全になめられていました。本来担当者の私に聞いてくるべきことも、先輩に電話が入りました。
先輩が気を利かしてくれ、電話を替わってくれましたが、やはり分からない自分自身のもどかしさと、お客様への申し訳なさで、新築現場のクローゼットの中で泣いたこともあります。
だから、必死に頑張って勉強しました
分からないことは当然として、分かったつもりになっていたことも徹底して調べたり、聞いたりしました。職人さんとのコミュニケーションも大切にしました。
お客様へも、常に報告し、全てにおいて、即対応することを心がけました。今では考えられないことですが、発注ミスで家全体の建材の色を間違えて、お客様にご迷惑をおかけしたこともあります。
お客様に指摘されて、初めて間違いに気が付いた位ですから、本当にうろたえました。「やっぱり新人だね」と言われ、相当ショックでもありました。
しかし、これが自分の選んだ道です。後戻りはできません。そして、「この人のために何が出来るか」と常に心の中に、問いかけて仕事をしました。そして、最後には・・・
「途中いろいろあったけど、自分の思う通りの家が出来たよ」
「野沢さんが担当で良かった、これからもよろしくね」
と、言葉を頂きました。
私は、家づくりの素晴らしさを本当に実感しました。
新人、現場監督時代
嬉しくて、嬉しくて涙が出てきました
引渡しを終えた帰りの車の中で、「幼い頃に見た父の姿」そして、「父を見ていた自分の姿」を思い出し、「これが自分の求めていたもの」だと実感しました。
そしたら、また涙が出てきました。
その後も沢山の現場を経験させて頂き、家づくりの素晴らしさを、日々実感していました。しかし、そんなある時、事件が起きました。
ある現場の「引渡し前の検査」をしている時、ゾクゾクっと悪寒がして、なぜか頭がボーっとしてきたのです。ムズムズと嫌な感じがして、それ以上作業を続けることが出来ませんでした。
それがキッカケで、中学以来治まっていたアトピーと喘息が再発しました。調べてみると、シックハウス症候群の影響でした。
充実した現場監督時代
「人を幸せにしたい」と思い、やってきた家づくりが、人を病気にして良い訳がありません
私も無知でしたが、当時私が作っていた家は、普通に新建材を使った家でした。それが身体に悪いという認識さえ持っていませんでした。家が原因で、私が少年時代に経験した、あの苦しさを味わう人を、自分が作ってはいけない。
そんな気持ちで、焦りを覚えました。
ひょっとしたら、私の家づくりは「不幸な家づくり」ではなかったのか? そんなことまで心配になってきました。
そこで、会社に掛け合って、合板フローリングやビニールクロスといった新建材は止めて、無垢フローリングや塗り壁といった自然素材による家づくりに変更してほしいと頼みました。
しかし、効率を重視する会社方針は変更してもらえませんでした。
会社の方針に納得できない私は、まだ子供が3カ月という状態ではありましたが、妻と相談し、転職を決意しました。そして、別の町に引っ越したのです。
苦しかった頃を思い出しました
新しい職場は、以前にも益して、もっと小さな地域密着の工務店でした
しかし、自然素材のこと、健康に配慮した家づくりといったことに理解があり、私の提案を気持ち良く取り入れてくれました。お客様も、違いを理解され、私が求めていた「家づくり」「暮らしづくり」に近づいた気がしました。
「暮らし」「素材」から考える家づくりの原点です。
喘息、アトピーで苦しかった幼少期の辛い想い出は、今では、「感謝の想い出」として蘇ってきます。
父や母は、毎日毎晩、夜中に私の喘息発作が起きると、そのたびに、背中をさすってくれたり、薬を飲ませてくれたり、それでも治まらないときは、病院の救急に連れて行ってくれました。
翌日仕事があるにも係らず、ほぼ毎日日課のようでした。
両親は、親として当然のことをしただけだと言ってくれますが、それが毎日だと大変だったろうなぁ~と、感謝の気持ちで一杯です。
自然素材は気持ちいい
今、実家の野沢建築に戻り、父と共に
「気持ちのいい健康的な家づくり」をするようになって思うことがあります
アレルギーが発症したり、悪化するような家は絶対に作りたくない。私は、そう決意しています。自らのアレルギー体験をもとに、古き良きものを取り入れ、「家」という「モノ」を作るのではなく、「暮らし」という「コト」を考えた家づくりがしたいのです。
家づくりは、幸せづくり
4代目社長 野沢 理
会社概要COMPANY OUTLINE
会社名 | 株式会社 野沢建築 |
所在地 | 〒431-2214 静岡県浜松市浜名区引佐町横尾876-1 |
|
TEL / FAX | 053-542-0328 / 053-542-2248 |
E-mail | info@nozawa-inasa.jp |
営業時間 | 8:30~19:00 |
代表者 | 代表取締役 野沢 理 |
設立 | 昭和2年(創業93年) |
資本金 | 1,000万円 |
主な取引銀行 | 遠州信用金庫 引佐支店
静岡銀行 引佐支店
とぴあ浜松 引佐支店 |
免許・許可 | 建築業許可 静岡県知事許可(般-2)第3776号
大工業許可 静岡県知事許可(般-2)第3776号
建築士事務所登録
株式会社野沢建築一級建築士事務所 静岡県知事登録(1)第8043号
宅地建物取引業 静岡県知事(1)第14435号
塗装業許可 静岡県知事許可(般・27)第3776号
防水業許可 静岡県知事許可(般・27)第3776号 |
主な資格保持 | 一級建築士
二級建築士
一級施工管理技士
宅地建物取引士 |
事業内容 | 建設業
大工業
塗装業
防水業 |
所属団体等 | 住宅瑕疵担保責任保険法人 住宅保証機構
住宅不動産資産価値保全保証協会
一般社団法人木と住まい研究会 |
導入制度 | 第3者による検査制度
住宅瑕疵担保責任保険
地盤保証 |
リクルートRECRUIT
代表野沢を中心に
スタッフ同士のコミュニケーションを
大切にしています。
業務未経験でも、何事にも素直に、謙虚さを持って対応できればチャレンジ大歓迎です。
家づくりを通して、引佐の街に貢献できることに喜びを感じる方、待ってます。
協力業者募集
大工や各種職人、工事業者さんの
仲間も募集しています。
浜松市引佐という小さなエリアで、一緒に家をつくり、そして家守りをしていきませんか?
4代続く野沢建築ですが、本物の家をわかりやすく若い世代に伝えていきたいと思います。
孫の世代にも自慢できるような家づくりご一緒出来る方、ご連絡ください。